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「ゴーン・ガール」視線で語る、雲をつかむような映画

 

「ゴーン・ガール」視線で語る、雲をつかむような映画

「ゴーン・ガール」は監督のデヴィッド・フィンチャーの中で最大のヒットとなっているそうです。しかし、Twitterなどで感想を読んでいると内容に驚いた方はもちろん多かったのですが、監督デヴィッド・フィンチャーの最新作としては「?」でありピンと来ていないという感想を何度も観ました。今回は彼の最新作として「ゴーン・ガール」を見ていきます。

デヴィッド・フィンチャーは「ゾディアック」以降、特殊な撮影をしたと一見して分かるシーンが減り、地味とも言える作風となっています。また、「観客に衝撃を与えたい」との発言もありますが、毎作適切な語り口で映画を描き作品ごとに演出スタイルが異なるため、彼のフィルモグラフィーに対して画一的な見方は出来ません。

では、今回の作品に対してどのような見方をすれば良いのでしょうか。キーワードを挙げるならば「視線」と「つかめなさ」でないかと考えます。

 

 

視線

自己という情報のメディア化

最近のフィンチャーが扱うテーマとして「情報」があります。「ゾディアック」は各地で見つかる本物とガセ(模倣犯であったり)の情報に埋もれ翻弄された主人公記者と警官たちの話であり、「ソーシャルネットワーク」は証言という過去の情報から(事実とは異なるあくまで映画としての解釈であるが)マーク・ザッカーバーグという男を浮かび上がらせました。「ドラゴン・タトゥーの女」でも主人公は記者であり、瞬間記憶能力を持ったリスベットとともにほとんど化石化した情報群からハリエット失踪事件へ迫って行きました。

そして今作「ゴーン・ガール」ではついに情報を扱う主人公ではなく、主人公自体が情報と化してしまいました!妻が失踪してしまった主人公ニックの一挙一動が情報としてマスコミにより放映され世論を動かし、ニックは妻殺しとの疑いをかけられてしまいます。そして、それを晴らすために自らテレビに映り情報発信をし自身をメディア化してしまう!(「ドラゴン・タトゥーの女」でもミカエルはマスコミの報道により信用を墜としますが、回復の過程において自ら発信などはしません)

このように自分を情報として発信した場合に重要になってくるもの、それが他者からの「視線」です。

予告でみる「視線」

主人公を見る周りの「視線」に注意して予告を観てみよう。


Gone Girl Official Trailer #2 (2014) Ben Affleck ...

特に予告の中盤、エイミーの両親や警官たちがニックを見る目が強調されていることに気がついたと思います。元々リテイクが多いフィンチャーですが今回は特に多く、平均で50回くらい撮っているという噂なのですが、このリテイク数は視線の演技やそのタイミングに相当の神経を使ったのだと考えられます。ソフトが出たらメイキングで確認したいところです。フィンチャー作品はメイキングがおもしろい!そこにこだわる!?の連続です。

また、人物が視線を動かしその目線へカットが切り替わることが多く、相当緻密に撮影のプランニングをしていたのだと思います。そして、そのフィンチャーの持つビジョンに映画を近づけるためのリテイク数なのではないでしょうか。
視線で言えば、特にエイミーの供述シーンが興味深いです。ボニー刑事と他の刑事の目線の動かし方が全く異なっています。目線だけでエイミーを疑うボニー刑事とエイミーに上手くしてやられている他の警官達とを分けたのです。このシーンでボニー刑事の鋭い指摘をエイミーがかわす方法にも目線が効果的に使われています。都合が悪くなった途端くらくらしてきたと言い目線を下げ、他の刑事を味方に付け質問を制止させるというキレ技を出すエイミーが印象的です。

 

 

つかめなさ

カット

そしてもう一つ「つかめなさ」について。

「ゴーンガール」はカットが非常に短い。歌舞伎で言う見栄のようなタメたショットがほとんどないため、終始事態をつかみきれない印象を受けます。
これはニックが自らも捜査を行っていた原作を、まわりで事態が勝手に動いていくようにした脚本に変更したことも関係しています。ニックに心の準備があろうとなかろうと、物事を飲み込めていなくても動いて行く様は、カットの早さで強調されています。

タイトルシークエンス

さらに、タイトルシークエンスが印象的です。

タイトルやキャスト名は通常4秒程度以上出すのが基本だそうですが、「ゴーン・ガール」ではなんと2秒ほどと半分ほどの時間しか出していないそう。かろうじて読めるがすぐに消えてしまいます。
これは冒頭のエイミーの後頭部を写したショットのナレーション「結婚の基本的な疑問、―なにを考えている?何を感じている?二人の間に何があったのか?」と呼応しています。一番親しいであろう結婚相手の頭の中さえ分からず、雲をつかむようなものなのです。ちなみにそのつかめない雲のイメージは、ポスターなど宣伝物でかなり強調されています。

f:id:nomotchan:20141227214636j:plain劇場公開ポスター

GONE GIRLという文字は雲の後ろに隠れ、つかめず消えてしまいそうです。ニックの様子を見るエイミーも雲の後ろにうっすらと見え映画の展開を示しています。

そして理解していたはずの結婚相手は実は違ったという"つかめていなかった"こととは今作のテーマのひとつと言えるでしょう。

 

 

まとめ

他人からの疑いの目を向けられているニックを「視線」の演出で、ニックが身の回りのカオスにより流されていくしかないことを異常なほどの「カット割の多さ」で、思考が読めない結婚相手であるエイミーを雲を使った「つかめなさ」で表現しています。

 

補強(2015/2/22追記)

この記事に書いた全体を補強するような事実を2つ見つけたのでここに追記します。

まずは雲がポイントということについての補強です。
ゴーンガールにVFXで何を足したかの動画ですが、最後のエイミーがカジノに向かうシーンで雲を意図的に足していました。


Gone Girl - VFX Breakdown - Vidéo Dailymotion

 また、この記事を書いた後に映画館で見直しましたが(3度目)夫婦関係に暗雲が立ち込めてきた時期から失踪中のシーンは空が映ると文字通り画面上に雲があり、エイミーが戻ってくるシーンからは快晴になっていました。雲待ちが必要な時代じゃなくあとで足したり消したりすごい時代ですね。

 

次に目線とカットについての補強です。

たまたま「明日に向かって撃て」を観ていて非常に「ゴーン・ガール」と似たカットの割り方をしているシーンがありました。

ブッチとサンダンス・キッドが自分の育てたギャング集団に戻ると裏切られナイフファイトに発展しかけるシーンで、ギャングが気まずくなり視線をやたら動かしブッチとサンダンス・キッドも目配せしながら次の出方を伺うシーンです。上に貼った予告と比べると目線を動かして目線の先にカットを切り替える編集が非常に似ていますね。


BUTCH CASSIDY & SUNDANCE KID: Knife Fight - YouTube

 

明日に向かって撃て」のたった1シーンですが、フィンチャーはこの作品を「お気に入り26作品」(http://www.imdb.com/list/ls073271921/) (順不同のリストです)に挙げているため参考にした可能性は非常に高いと言えます。

(追記終わり)

 あとがき

初記事でした。読んでいただきありがとうございます。

「ゴーン・ガール」のストーリーに衝撃を受けたもののフィンチャー最新作としてさっぱりだった方はこの「視線」と「つかめなさ」に注目して観るとフィンチャーのした仕事が分かるのではないかと思います。

フィンチャーが予算を獲得できず企画がボツになるのは毎度悲しいというか、寡作なフィンチャーにとってはさらなるロスタイムなので歯がゆいです。みなさんこの記事を読んだらフィンチャーの職人魂を観に二回目へダッシュだ!!!

このブログは特に気負いせず好きな映画について、好きなときに好きな分量書こうと思っています。「ゴーン・ガール」については他に原作との違いについても書こうと思います。誰も1映画1記事とは決めていないのだよ…!

次回もよろしくお願いします。