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『V.』トマス・ピンチョン、かすかにアマチュア感が残るかわいげモンスター

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謎解きの快楽宮(プレジャー・ドーム)へようこそ。
闇の世界史の随所に現れる謎の女V.。
その謎に取り憑かれた<探求者>ハーバート・ステンシルと、そこらはどうでもいいベニー・プロフェインの二人は出会い、やがて運命の地へと吸い寄せられる……。
V.とは誰か?いや、V.とはいったい何なのか?
謎がさらなる謎を呼ぶ。手がかり多数、解釈無数、読むものすべてが暗号解読へと駆り立てられる――。
天才の登場を告げた記念碑的名作、ついに新訳成る。

どんな小説?

V.を読んだ。
はじめに書きますが、作品解説や解釈と呼べるようなものはネットでも多く出ているしピンチョンの作家ガイドにも書いてあると思うので書きません。書いたとしてもその辺の寄せ集め劣化コピーになってしまうので、ここではかんたんな紹介とこれから読む人へのアドバイスと、感想にとどめておきます。

歴史にたびたび現れる謎の女性?V.を追う…とは聞いていたものの、1章を読み終わってもそんな気配全くなし。今まで読んだどのピンチョン作品よりもポップでドタバタ、楽しい!

ただ、筋がなかなか見えてこないのも当たり前、というのはこの小説はダブル主人公なのです。このことは最初に引用して載せた上巻の帯に書いてあるキャッチ用のあらすじがよく表しています。そう、一章で登場する主人公、プロフェインはそんなこと、V.なんてどうでもいいのです。もっとも、一章の時点ではステンシルと出会ってさえもいないのだけれど。

読みにくさの原因

さて、ピンチョンの中でもポップと呼ばれていながらも読みにくい小説にさせている大きな理由がひとつあります。今作はダブル主人公なため、プロフェインの章とステンシルの章があります。プロフェインのパートはどうもピンチョンの個人的な経験を元にして書かれている(詳しくはあとがきや訳者のひとり佐藤良明さんのブログを読もう)のでポップで、情報量はあるものの軽くも読めます。その一方で、ステンシル・パートはピンチョンが歴史書やら昔のガイドブックやらを調べ上げた蓄積を元に書かれている(と、「スロー・ラーナー」のまえがきを読むと言い切れる)ため、こちらにも相応の知識が必要な書き方をしています。ピンチョン作品全部を読んだわけではないけれど、後に書かれた作品ほど、調べた”お勉強”の部分がうまく練り込まれ溶け込んでるのに対して、「V.」ではどうもはっきりと「ここはよく調べて書いたなあ」という部分が出てしまっています。
というわけで、「V.」に関しては”お勉強”の部分を見分けて、ある程度見切りをつける必要があると感じます。

特に悪名高いのが第三章で、色々な感想を読んでいるとここいらで挫折する方が多いらしい。それもそのはず、”お勉強”の部分であり、「スロー・ラーナー」のまえがきを読む限り1899年発行のエジプトの旅行ガイドブックを参考に書かれているらしい。それも、「スロー・ラーナー」所収の「アンダー・ザ・ローズ」というスパイものの小説を、その場にいた人たちが目撃した視点で語り直すという手の込んだものなのです。しかも、そもそもその目撃者が実際書き記したものではなく、周辺情報を調べ上げた?ステンシルがその場の目撃者になりきって書いています*。
ただ、どの語り手も皮肉と哀愁を持ち合わていたりと魅力的なところがあり、彼らの話だけでも読みたいくらいです。特に全編通してトップクラスに好きな一節

ゲブライルは星のない夜が好きだった。人々が信じてきた巨大な嘘が、ついに暴かれるような気がして……

なんてことを語る登場人物も出てきます。

*小説の手法としての語り手についての問題は訳者あとがきに詳しいので細かいことは言わない

これから読む人へ

まあそんなわけで、これから読む人へのアドバイスをすると、ピンチョン全般に言えることかもしれませんが、読む時間の1/5くらいは調べ物をする覚悟で読みましょう。それをしつつも、怪物ピンチョンだって調べて書いたものなので挫折しないよう諦めるところは諦めて読み進めていくのが大事だと思います。

そして章ごとにボヘミアン小説、歴史小説、スパイ小説、医学書、詩…と変幻自在な文体を楽しんで欲しいです。

感想

そして、私自身の感想を書くと楽しい小説でありながら思い詰めたところがある最近の作品よりも、風通しが良く足取りの軽い「V.」は楽しく読めました。初めに「L.A.ヴァイス」と「逆光(一章だけ)」を読んだ私にはピンチョンは怪物にしか思えなかったのだけど、「スロー・ラーナー」と「逆光」を読んでピンチョンも人である、初めから満足に書けるわけでもなくお勉強もする、それこそスロー・ラーナーであるということが分かりました。もちろん帯には「かいぶつがあらわれた」や「記念碑的名作」、「衝撃的なデビュー」と書いてあり、それは事実だけどピンチョン作品の中ではかわいいところのある作品なので、これからピンチョンを読みたいであるとか、いきなり「重力の虹」を読むのが不安だという人は「V.」もしくは「スロー・ラーナー」から始めるのもいいのかもしれません。どちらも完璧な作品ではなくても、声を出して笑うようなところもあり、ハッとするような美しい文章がときおり出てきたりします。特に作者25歳の苦悩(恋愛や職業について)が見えたりと、27歳でありながら大学をやっと卒業して職なしの私には重なる部分が多く、「分かるよ!分かるぞピンチョン!」と怪物であるはずのピンチョンに対して、そしてピンチョンの中にも見えてくる自分自身にエールを送っていました。そう、今読んで良かったと思える一作でした。
そんな自分がとっても共感した一節を何個か引用して締めとします。

経営方面に進めれば小説など書き出し、工学や建築のほうに進めば絵か彫刻をはじめるというタイプだ。そんなことではどちらの世界でも最悪の結果になることは知っていても、境界線をまたぐことをやめられない。というか、なぜ線が引かれなくてはいけないのか、そもそも境界なんてものが存在するのかと疑っている。

―きっと工学部から文学部へ行ったピンチョンのことでもあるでしょう。

木偶の不器男であるプロフェインにとって「女」はいつも偶発事故(アクシデント)のようなものだった。靴紐が切れる、皿が落ちる、ピンがついたまま新しいシャツを着てしまう、そんな感じで、女という出来事が「身に降りかかる」。フィーナも例外ではなかった。

―ピンチョンも積極的に彼女は作らないタイプなのかな

今の世界は、ぶらぶらしている若者をよしとせん。若さとは有用なる目標に向けて活用されるべきもの、絞り尽くされるべきものというわけだ。遊びの時間はゼロ、ヴィーシューはおしまいか。やれやれ。

―メキシコで「V.」を書き始めたピンチョンを思い出します。

 

ね、読みたくなったでしょ?